モノアモリーとポリアモリー
ゲストハウスのオーナーさんと語る。
人生と仕事、恋愛観について語った。
2000人以上の女の子と話して来たけど1番理屈っぽいと言われた。
朝まで話したけどまだ語りたいという名残惜しさが残った。
でも、だからこそまた来たくなった。
私の考え方の対比軸が既に言語化、共有化されてたと嬉しくなった。
文化的にモノとポリがあるのは結婚制度をみれば歴然。
日本人では、このモノとポリの対比は一時点で判断する。
そして、この一時点でモノであることを良しとするという価値観が多数のように感じる。
しかし、日本人のいまの恋愛観は広義のポリアモリーと考える人もいるらしい。
私は時間軸を度外視して、一時点をみて1:1と1:Nを論じることになんとなく違和感があった。
1→2と1→5ってなんか違うの?同じじゃない?っていう感覚。
だから日本人のいまの恋愛観はポリアモリーだという考え方はすごく腑に落ちた。
モノアモリーの良さを語れるし人生の中で実践し続けたいと思ってる。
でも、いまの愛が信じられなくなった時には、ポリアモリーになるんじゃないかと思う。
浮気の上手な言い逃れだ!けしからん!ってひともいるようだけど、
一時点でのモノかポリを論じはじめたら、恋愛はタイミングが全てって話になると思う。
タイミングという受け身な感覚で人生決まっちゃうの?
自分の意志を介在させて選択したくない?
って思うと、ポリアモリーな価値観は発生すべきしてしていると思う。
愛の一部に性愛はあるけど、性欲がなくなったときに性愛は必要なのか?残るのか?
相手とのバランスが崩れたら?
噛み合わないときはどうして乗り越える?
…
私は今、割と過渡期だから、未来志向で語れるけど、
生活が落ち着いたらお邪魔して意見を交わしたいな。